祖母は私が小学5年の時に他界した。
その前年、祖父が亡くなったばかりだった。
祖母は16の時に会ったこともない祖父の元に嫁いだ。
一次産業の家業を切り盛りしながら、7人の子を産み
丁稚奉公の少年たちを我が子と分け隔てなく育てた。
昭和の大戦時には上空からB29に狙撃され、幼い子供の手を引き
数キロ離れた防空壕まで空襲の度に走ったそうだ。
祖父が無くなり、どうか残された時間は自分の好きなことをと
家族皆が願っていたのに、その時間は僅か1年だった。
昨年義父を亡くした義母は今正に同じ状況だ。
私は残った時間は自分の好きなことをし、好きな場所に行って
欲しいと強く言った。
しかし、義母の健康は急速に衰えている。
切ない。
私は自分の祖母に似た義母のことが好きなのだ。
祖母の生前の口癖は
「生きてるくせに文句を言うな」
そう、その通りなのだ。
我々の世代は贅沢過ぎる。
しかし、私は義母にはもう少し自分の為の楽しい想い出を作って
欲しいのだ。
なんとか車椅子で出掛けられる様になったら、
近所の植物園に連れて行ってあげたい。
彼女は花が好きだから。