小さい頃(小3くらい)、近所に天体観測が好きな上級生がいて
時々、天体望遠鏡を覗かせてくれたりしました。
その子の親は教育熱心で、特に理数系には力を入れていたのです。
彼は頭が良くて、その成果を自由研究で発表して市の賞を受けたり
していました。
そして、彼は貧乏で凡そ教育や躾といったものから野放しな私を
色々な面で気に掛けてくれていたのです。
その時に、簡単な星の記録の付け方、とは言っても小学生なので
日付、方角と一等星は☆マークにするとか~なのですが、
を教えてもらったので、私もなんとなく真似してノートにその日の
星の見え具合を記入する様になりました。
とは言っても、私は彼の様に頭が良い訳では無く、天体に関する
知識も興味もなく、特に星座の座標を覚えるでもなく唯々、
家の洗濯機置き場から見える北東の空の星を写すだけ。
しかし、私はやりはじめると上達もしない代わりにしつこいのです。
途中、さぼったり途切れたりしつつも6年生になるまで結局ノートを
付け続けました。
5年生の時位に、夏休みの自由研究をやる時間が無かった
(この年は祖父が他界したりして色々あったのです)ので
このノートを提出したら、私と反りが合わなかった女の先生に
「星を写すだけじゃね~(失笑)、感想とか比較とか入れないと
あまり意味がないよね~」とひどいことを言われました。
まあ、確かに3年生ならいざ知らず、5年生ならそれ位は出来ていても
良さそうだったと今なら思いますがw
でも、上級生の興味は他の物に移っていたし、どんなに頭が悪い
子供だって、こんなノートになんの意味もないことは十分判って
いたのです。唯、およそ教育というものには全く興味のない
私の母親が、満天の日には思い出した様に
「今日はノートは付けないのか?」
と聞いてくれるのが子供心に嬉しかったのと、
なにも与えられない状況で意地だけで何かを続けるというのが、
私の数少ない長所になるのかなぁ~と漠然と感じていて
あの行為を継続したのでした。
結局、意味の無い星のノートが何冊も溜まっただけでしたが、
でも何かをしつこく継続するという行為は、その後の私の下らない
人生を要所々々で救ってくれた気がします。
スーパームーンは見逃してしまいましたが、
昨日は星が綺麗だったので、そんな昔の話を思い出しました。