50代になったら趣味でのパフォーマンスは向上しそうもありません。
「味」を追求するのもひとつの方向性ですが、
私は何かを会得していく過程が楽しくて趣味に時間とお金を使って
いるので(釣り以外)、そうなると楽しくなくなってきそうです。
そしたら、全てを手仕舞いして、身の回りの物を極力省略。
それこそ、歯ブラシとか目覚まし時計とか生活必需品以外は全て捨てて
なにもない。なにもしない生活とか潔良さそうです。
仕事で回りに迷惑を掛けない程度の極軽い鬱とかになって、
休日は時間の概念も曖昧~ってな感じで、現代における現実的な「無」を
生きるとかどうかな?って考えたりします。
まあ、そんな生き方は中々難しいのかもしれませんが、
我が身と家系を振り返ってみますと、自分が長寿だとはどうしても
思えない。死因は相当な確率でガンでしょう(ガン家系)。
私はガンになったら延命も結局助からない高度医療も一切受ける気は
ないです。また、適者生存の原則に忠実(社会ダーウィニスト)なので、
臓器等の提供も一切する気はありません。
そう考えると、年金や医療保険もあまり意味がないものと言う気がします。
強力な痛み止めだけ持って、絶対に人が来ない様な秩父の山奥で
死への数日をテントで過ごす~と言った人生のラストシーンを送らせて
頂く訳にはいかないでしょうかね?
どうも、現在の寿命を削る職場環境と働き方を続けていると
そんな事を考え勝ちです。