雨後雨

いつも降っています。日差しがあっても。

父の感謝と卒業証書

一般の方が見たこともない様な無脊椎動物

それを活かしておくための一日三度の世話が終戦直後の父の役割でした。

私の実家は父の代まで一次産業に従事していたのです。

父は8人兄弟の長男で戦中、戦後の物資の無い中、なんとか兄弟を

飢えさせない為に、物心ついた時から祖父と一緒に家業を支えてきました。

しかし、学年が上がるに連れ就学を続けることが困難になり、

5年生の時にとうとう学校へ通うことを諦めます。

全く持って残念なことに、私は父の良い面を全然受け継がなかったのですが

彼は相当に地頭が良い人で、40歳を過ぎてから初めて会社務めをしたにも

関わらず、その分野では難関とされる資格を次々に突破していきました。

小学校(国民学校)の成績もずば抜けていたらしく、級長等も務める

真面目な生徒だったそうです。私とは真逆なのは何故だ??ww

そんな父が学校に来れなくなり、それを悲しんだ当時の受け持ちの先生が

尽力して、父は小学校を卒業した扱いを受けることになりました。

卒業証書もきちんと授与されています。

その先生は教師になって初めての受け持ちが父のクラスだったのですが、

市内の小学校で教鞭をとった後、退職する年にまた父の通っていた小学校

に戻ってきました。その小学校は私の母校でもあります。

つまり、先生は教師になった時に私の父を教え、定年退職する際に

私がお世話になった訳です。

その先生の赴任を父に話したところ(私はその時は子供だったので

そんな事情は知らなかった)、居ても経ってもいられなくなった父は

慣れない背広を着て職員室へ訪問を果たしました。

私はなんで授業参観でもない日に父が学校に居るのか???でしたw

そんなこともあって、父はその後の人生においてずっとその事に

感謝の念を忘れることはありませんでした。

叔父や叔母は口を揃えて父の幼少期を犠牲にさせてしまったと言います。

しかし、父は小学校の卒業証書を誇りに思う事はあっても時代を恨む

ようなことは口にしたことはありません。

少し前に不登校のYouTuberが小学校の卒業証書を破く動画をUPして

いましたが、今年になって脳梗塞で入院してしまった父の耳には届かない

ことでしょう。コロナの為に家族も一切面会が出来ない状態なのですが

学校に行く事を諦めた11歳の父(その日は晩御飯の時間になっても

ずっと2階から降りてこなかったと。それが不憫で忘れられないと50年

以上経って祖母が話していました)が観たらどう考えるのか。

意外と「そう言う時代だから」とあっさり流すのかもしれませんが。

学校は通えるなら行った方が良いし、

戦争はやっぱりしないで済むならしない方が良いですね。