妻の人と愛犬君は木曜から日曜までセカンドハウスです。
私はコロナの後遺症が残っているので静養。
静かな週末です。
夕方、軽いエッセーでも読もうかと近所の小さな書店に。
荻原浩なら間違いないでしょう。
買い物をして帰って来る途中で250ccのバイクに乗った女性が
あわや右折の自動車と衝突しそうになる場面に遭遇。
いつも考えてしまうのだが、
あの女性はもしあそこでぶつかって一生車椅子になってしまっても
バイクに乗っていたことを後悔しないのだろうか?
多分、20代だと思うし身長も高そうでヘルメットからはロングヘアー
がなびいていました。
ずっとバイクに乗り続けている私が言うのもなんなのですが、
私はバイクが怖い。
乗る度に緊張する。細やかなながら築き上げた今の生活が
ブレーキミス一つで粉々になってしまうことに。
そして、もっと怖いのはそうなった時に人生の大半のエネルギーを
注ぎ込んできたバイクに乗らなければ、出会わなければと考えて
しまうんじゃないかと言うことに。
多分、その時に後悔しない人というのは、
バイクに乗ることによって得られる喜びの為なら他のことは
無くても良いと思える人では無く、
世の中に数多ある、バイクに乗る以上の幸せは自分には必要が
無い。または自分には手に入らないと割り切れる人なのだ。
異論はあると思います。
でもさ、
80~90年代前半の空前のバイクブームが突然に終わった時、
それでもバイクにしがみついて乗り続けた人は、
冴えない見た目のバイク以外になんの楽しみも無さそうな
男性ばかりでしたよ。
綺麗なバイク女子やお金があって車を買える様な男性は
皆、バイクのバの字も話題にしなくなって、
煙の様に消えてしまいました。
いやいや、乗らなくて済むなら乗らなくて良いでしょう。
バイクに乗る事によって得られる喜びなんて、
全て日常に落ちてますよ。
それに気付くか気付かないかだけで。
ユーチューバーの甘言を真に受けて何かを失っても
その後の人生で代償を払い続けていくのは本人です。
山に導かれた。
そうご本人も周りも思える山野井夫妻。
お二人共、凍傷で多くの指を失ってしまいました。
特に8000mを超える高度でビバークを余儀なくされてしまった
妙子さん。その時の事情と決断は危険を伴う行為を
自ら行う際の覚悟とはどういうものなのか、
本当に深いところで考えさせられます。
でもきっとお二人には山に登らない人生と言う選択は無かった
でしょうし、これからも無いでしょう。
人はピアニストになたいと思ったからなれる訳ではありません。
バイクに乗りたいと思ったら免許を取得してバイクを手に入れれば
乗る事は出来ます。
でも、多少ピアノが弾けてもピアニストでは無い様に、
身体をバイクに乗せているからと言って、人生を乗せて走って
いるかと言えば、それはまた別の話です。