私はバリバリ昭和の時代に幼少期を過ごしました。
ちびまる子ちゃんをイメージして頂ければと思います。
ド田舎の少年にとっては「新しい物」というのは駄菓子屋と
文房具店が生命線です。
特に駄菓子屋さんは文字通り駄菓子からプラモデルまで売っている
なんでも屋さんでした。飲食スペースも併設されていて、
おでんや心太や蜜豆等の軽食も食べられる、正に放課後のワンダーランド。
田舎の少年たちはランドセルを置いたら駄菓子屋に取って返して
自由な世界を満喫します。そして、そこには子供だけの秩序やモラル、
理屈や暴力や貧富(お小遣い)の差が渦巻いて、それこそ学校では
教えてくれない様々なことを学ぶ為の場として機能していました。
大分前置きが長くなりましたが、ここでは小学校に上がる前から
模型少年だった私とプラモデルのことを書きたいと思います。
それも今回は舟~ボートの模型に絞ったお話です。
駄菓子屋の仕入れシステムというのは完成されたもので、
プラモデルにもちゃんと時期というものがあります。
つまり、春から夏に掛けて水が温む季節になれば問屋さんが
それに合わせたプラモデルを持ってくるのです。
そうなれば、当然子供だった私はソワソワし出す訳でして、
学校の行き帰りにはチラチラと店内にお小遣いで買える金額且つ
魅力的なモデルが入荷していないかチェックに余念がなくなる訳ですw
唯、娯楽の無い地域故、同じ模型好きの子供は他にも居る訳で
1点しか入荷しない商品は早い者勝ちという争奪戦になります。
因みにこの現象は数年後に起こるガンプラブームでピークを迎えます。
何故、これらのプラモデルをこんなにも欲しかったのかと言えば、
それは、模型用のモーターと乾電池で実際に水面を走行することが
可能だからなのです。昭和のプラモデル、ボートや車は動くことが
前提だったのです。対して今はディスプレイモデルが殆どです。
そんなこんなで田舎の模型少年だった私は毎年そんな平和な夏を
送っていたのです。
そして、そんな私がいつになるとも判らない入荷を心待ちにしていた
モデルがあります。
普通、プラモデルと言う位ですから船体はプラスチックで出来ています。
ところがそれは薄いセルロイドの様なもので出来ていて「競技用」の体を
色濃く出したパッケージです。
それが今、私の手元にある「ブルーリボン スーパー」というモデルです。
ブルーリボンと言うのはシリーズ名で、他にもジュニアやハイドロと言った
船体があります。スーパーは中核を成すモデルだったと記憶しています。
白いハル。
水色のデッキ。
ブルーリボンシリーズは基本的に各モデルこの配色でした。
私の記憶に強く残っていた「20米・・・7秒」
当時の私は、きっと東京や都市部ではこう言うボートの競技会が頻繁に行われて
いるんだろうなぁと、子供心に強い憧れを抱いたものでした。
簡素な紙一枚の組み立て説明書。
しかし、それがまた無駄を廃したレーシーさと映ったのです。
この海賊さんのマークが郷愁を誘うのです。
今も模型ファンの間では傑作の誉れ高い「赤ペラ」と呼ばれる
ナイロン製のスクリュー。
この製品は40年以上前の物です。
当時、如何に抜きん出たパッケージングだったのか判ります。
そして、この商品は大手の模型メーカーさんが製作していたのでは無く、
徳島にある「クリッパー」さんと言う総合模型店さんが自社で生産して
いたのです。船体がプラスチックでは無く板材をバキュームで整形する
方法だったのはそう言った理由があったからだと今は推測できます。
(一般的にプラスチックの金型の製作は数百万から数千万円掛かります)
バキュームでの整形ならコストはかなり低減できますので。
まあ、そんなことより素晴らしいのは多くの大手模型メーカーが
廃業していくなか、クリッパーさんは今も現役で模型ファンの為の御商売を
続けていらっしゃることです。
HP クリッパー模型 | 模型のひろば クリッパー (clipper-mokei.com)
私が子供の頃に憧れていたスピード競技に関しましては、
大人になって上京してから知り合った模型を通しての知人達にも
一様に質問してみたのですが、知る限り開催していないと思うし
参加したという人の話も聞いたことがないとのことでした。
どうもこの点に関してはクリッパーさんの敷地にある競技用水路で
行われていた競技会の記録を箱絵にも記したということで、
全国的に行われていた訳では無かった様です。
そして、その水路は今も料金を払えば使用出来る様です。
私はクリッパーさんの長きに渡る模型への情熱(決して商売としてだけでは
無かった筈です)に最大限の敬意を表します。
私は数年以内に自分のブルーリボンを持参してクリッパーさんを
訪問したいと考えています。その時が本当に楽しみです。
と、ここまで書いて本題に入ります。
ブルーリボンは素晴らしい模型ですが、今回のタイトル~あれ以上のものはない
と言うのはこの件ではないのです。
駄菓子屋に有ったあの模型はもう誰かに買われてしまっていないか
お小遣いを握りしめて走った焼けたアスファルトの道。
組み立てる時の接着剤のシンナー臭。
単三電池。
出来上がった船体を浅い水面に浮かべた時の夏の日差しの反射。
スイッチを入れてスクリューが回り出す時の微妙な振動。
そして、模型用のマブチモーターの独特な匂い。
一度走り出したらストップ機能なんてないのに、
なんの躊躇もなく自分のボートはどこまでも走って行くと思っていました。
全てが懐かしく、全てが昨日のことの様です。
あの頃の模型ボートに対する想いと記憶。
あんなに心が揺さぶられる事がその後の人生で何度有ったのか。
結局、大人になってどんなに欲しい物を手に入れられる様になっても
あれ以上に楽しいことなんてありませんでした。
だから今は楽しくないという訳ではないんですけどね。
子供の頃にそんな体験が出来て本当に良かったという話です。
自分の生き方の核になっているのは、あの頃の感性そのものに
他なりません。
長文、お読みいただいてありがとうございます。