雨後雨

いつも降っています。日差しがあっても。

ただ静かに

なんと言いますか、

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの意識とは似ても似つかない様な

方々がSNS上で暴れています。

ニントモカントモ。。。。。

 

なんちゃってフェミニストさん達は口を揃えて言います。

「私の考えを変えさせようとするな!」

うん、そうですね。

人にはそれぞれの考えが有り、他人を変えるのは容易ではありません。

皆、己の大義に忠実なのでしょう。

なので、私の様な市井の人にとっては世の中の意識なんてどうでも

良いことです。

 

ただ静かに、日々料理を作り、綻びを縫い続けるだけです。

性差の垣根というのは、環境と持って生まれた資質によって

その高さは変わるものでしょう。

私は夏休みの工作には枕カバーを縫いましたし、

独身時代の彼女さんには彼女がいました。

現在の姓は妻の人側です(養子縁組した訳ではありません)。

性としてはストレート(この言い方が問題ないのかどうかはまた

別の話とさせて下さい)の男性が全てこう言った生き方(行為)に

違和感が無いかと言えばそんなことは無い筈です。

私、完全に昭和の人ですしね。

自分ではなにも感じませんでしたが、小学生の時なんかはかなり

異端だったと思います。

男子と女子が喧嘩したら、私だけ女子の側にいましたからねw

今もアクセサリーもコスメも大好きですし。

(自分がメイクする訳ではありません)

女性的な行為に違和感がないタイプの人がフェミニズムに寄り添える

という訳ではありませんが理解はしやすいのかもしれません。

しかし、それもその人にとって、そう生きるのが自然というだけであって、

フェミニズムに背を向けて生きる人を否定するのも無駄なことです。

 

 

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ボーヴォワールがなにより素晴らしのはサルトルとの自由意思による

パートナーシップ(婚姻、子供をもつことの拒否とお互いの自由恋愛

を認める)を生涯貫いたことです。

個人的にはその事実はどんな女性解放運動よりも彼女の信念を示す

ものだと考えます。

 

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著書「第二の性」は私の中ではフランクルの「夜と霧」と双璧をなす

20世紀を代表する書籍です。

 

 

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 とっちらかった文章になってしまいました。

まあ、大きなことを言っても仕方がありません(そしてそれは大抵の

場合、的外れです)。

取り敢えず、パートナーや家族、そして目の前にいる困っている人には

手を差し伸べて当然。そして差し出された手は素直に握り返す。

そんなことを実践していけば良いのではないでしょうか。